Journal de la traductrice / 翻訳日記 (1)
Mon nom de famille est Inada, qui signifie « rizière ». Mais quel nom japonais ! Je crains que ce nom trop nippon ne fasse obstacle à mon intégration en France, prophétisant ainsi mon inadaptation.
留学しているパリの大学のカフェでは、環境への配慮のため紙コップの使用が廃止され、ドリンクの提供にはプラスチック製のリユース・カップが用いられることになった。ところが使用後のカップをそのまま持ち帰ってしまう学生が後を絶たず、盗難防止の措置として、飲み物の注文の際には自分の学生証をデポジット代わりにレジに預け、飲み終わったらカップと引き換えで返却されるという仕組みになったのである。その日も0.6ユーロのエスプレッソ一杯を飲むためだけに学生証を預け、すぐに飲み干して戻ると、店員の女性はわたしの学生証をしげしげと眺め、そして「あなたの名前がどういう意味か知っている?」と尋ねてきた。
質問の意図がつかめず、また少々急いでいたので早く学生証を返してほしかったわたしは、とにかく「分からない」と答えた。すると彼女はにやりと笑って「あなたの名前は 「rien(無)って意味よ」と言い放ってきたのである。ここでようやく、フランス語の 「rien」 にあたるスペイン語の 「nada」が、わたしの名字の「Inada」に入っているということを言っているのだと分かった。女性はスペイン語話者だった。「つまり、わたしは「無」っていうことですか」。「そうよ」。
大学を後にして早足で公園を横切りながら、ふとInadaという自分の名字には、nadaに加えてもうひとつの否定、それも日本語である「否(いな)」が含まれていることに気が付いた。日本で生活していた時には思いもよらなかったことだった。日本では漢字の重みで揺るぎなかった言葉が、表音文字のヨーロッパで浮遊して新しい意味に結びついたか思えば、日本語にひょいと戻ってきて、二重の否定を刻み込まれることになったのだ。
なんだか少しだけ不吉な気分になって、しかし否定が二つ重なれば肯定に転じるではないか、などと考えてみた瞬間、さらにもうひとつの否、すなわち否定を表す接頭辞inの存在が頭をよぎった。当のわたしがその数日前、新しくできたフランス人の友人にファミリーネームを聞かれ、Inadaの綴りを伝えようと咄嗟に 「inadapté(不適合な)」という、この接頭辞をもつ複合語を引き合いに出したばかりだったのである――外国人としての自虐と受け取ったその友人は苦笑して 「Tu es très adaptée(きみはわりと順応できていると思うよ)」と言ってくれたのだが。