Articles

2010年7月22日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2010 カタツムリやヘビ、あるいはクモと同様に、人間もまたアルコールの離脱症状に襲われた神による被造物である。だからもし生き延びたいのなら、神の酔いが醒めないようわれわれ自身で世話してやる必要がある。ちなみにそれというのがこの下界における司祭の役割であって、彼らが引っかけるミサの葡萄酒が彼の頭に回ると、また日々新しい怪物を生み出すのだった(つい最近は「トレーダー」を)。 エデンの園でわれわれは空気より軽く、浮遊していた。ところが蛇が待ちぶせをしてアイザック・ニュートンの通りがかりにわざと林檎を落として以来、われわれは重力をもつようになった、ああ、なってしまった! それだけではない、万物がわれわれの上にのしかかりはじめたのだ。 あら、私をみくびらないでくださいよ、気を付けた方がいい、これから私があらゆる物事の原理を破壊し、すべての歯車を狂わせます。そしたらもう、人間ひとりひとりがなんの罰も受けないでぽーんと死ぬなんてことはできなくなりますから。   - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2013年7月8日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1971 最初に味わったときを過ぎてしまえば、感覚は自らが担っているつもりの、現実を把握するという役割を果たさなくなる。というのはこの感覚なるものは、あの古びた体験までもを呼びさまし、われわれを記憶の夢想へと連れ去るのだが、この夢じたい想像によって変形させられているのだから。つまるところ現実はつねに逃げ去り、ただ痛みだけがその存在を証し立てる。残るのは幻想のヴェールが覆い隠すことのない、あの神経のひりひりとした苛立ちだけなのだ。 金属製の万年筆が切り裂くと同時に、インクの糸が縫いとじる――それが書くということだ。 作家は自らが進歩して、現実をよりよく理解できるようになったと信じたがっているが、実際にはますます自分の巣穴にはまり込み、自分が掘ったトンネルを照らすことすら決してできないのだ。   - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

Trois haïkus / Takajo Mitsuhashi

老いながらつばきとなつて踊りけり En vieillissant, je suis devenue une fleur de camélia qui danse. 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり Amaigrie en été, ce que je déteste je le déteste. 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし La balançoire est à balancer. L’amour,  à ravir. Takajo Mitsuhashi(三橋鷹女, 1899-1972)

2022年7月1日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5087 われわれの記憶の中にもっとも深く刻み込まれ、過去のすべてがその周りに秩序立てられるようなモチーフとは、実家の壁紙の模様である。壁がどれも無地である現在、子どもたちが幼い頃の思い出をなにひとつ思い出せなくなることが危惧される。 ドアの覗き穴に望遠鏡のレンズをはめ込んでごらん、そうすればヴィーナスがノックしに来るだろう。 脱走は刑期をまっとうするもっとも迅速な手段ではないか?   - - *ヴィーナス(ウェヌス)とは金星のことでもある。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2020年6月24日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4386 死後硬直によって固まってしまう前に、頭の切れるその女の子は隣り合って枝にぶら下がる両親の手と手に一枚の板を握らせた。 ――孤児になるって楽しいわね、ブランコができる! 私には方向感覚が一切ない。ついでに言うと、道で気づかれることも決してない。 ――ちょっと! 何をしてるのか教えて! 何が見えるのかだけでも言ってよ! しかしスカートの下のその手はすべてを自分だけの秘密にする。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2016年6月17日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2988 私たちは街を歩く、こんな具合に整えられ、切り取られ、かのように服を着せられ、帽子を被せられて。まるでこう言っているかのようだーー「これが人間についての私の提案です」。 かけがえのない、あれほど頼りになった友のことを、あなたは忠実でもあると思っていた・・・・・・あなたが道をゆくときにはしばしば、彼の手はあなたの手に握られていた・・・・・・それなのに、ああ、ふとした矢先に・・・・・・要するにまた傘をなくした。 先史時代の人間がしていたように、二つの火打ち石をこすって火を迸らせてみたいと思ったのだ。ところがーーわれわれが進化したからだろうか?ーー迸ったのは血だった。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年6月10日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1266 来年度スジが保育園に席を得るために私の住む街の街頭で組織されたデモは、まったく閑散としたありさまだった。というのも集まったのはーー落胆した主催者らによる算出はめずらしく、それを嘲笑う警察のものと一致したーー2人だけだったのだ。わが近隣住民たちの政治的了見のなさ、もっとも正当な言い分に対する彼らの無関心といったら、はっきり言わせてもらおう、じつに嘆かわしく深刻な問題である。 作家の同情とは、彼の皮肉の猥褻なかたちである。 「大切な人を失う」とは、それが言っているようにみえることとほぼ真逆の意味をもつ的外れな表現だ。というのは反対に私たちは寝てもさめても、そしてまったくもって絶望的なことに、その人の居どころを思い知ることになるからだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2017年6月3日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3322 第一に、時間に正確な者は腕時計を足首に巻く。 第二に、風邪を引いた者がクモの巣で鼻をかんでも、鼻の腫れはましにはならない。 第三に、梯子を上まで登るのにいちばん話が早いのは、やはり梯子を持っていることだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年5月27日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

910 かの有力者が知り合いにいるおかげで、私の応募書類は山のてっぺんに置かれている。ところがこの山があまりに高すぎて、悲しきかな担当の役人はとっくに頂上にたどり着くことをあきらめてしまっている。 われわれは毎秒いつ死んでもおかしくないのだが、結局そんなことはごく稀にしか起こらないのである。 今度は最初の大河小説を書こうと決心していた。なのに何なんだ一体、机の上にあるこれは? とぼけたつぶらなビーバーじゃないか! -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2026年5月20日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

6235 スズメというものは、なんと己の平凡さをよろこび謳歌することを心得、その取るに足らなさを嬉々として生き、かくも微々たる存在であるためにあくせくするのだろう! われわれはスズメを羨むことができるだろうか? それになるにはどんな方策を敷いたらよいのだろうか? 先のとがったハサミと、先の丸いハサミとでは、地平線の上に切り取る山のかたちも変わってくる。 あの人はウィンカーを付けるかな? 残念ながらこれが、曲がり角でこちらを待つ人々にとってしばしば唯一の関心事なのだ。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年5月13日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1238 蓮の葉に 変てこオタマジャクシ 福島 桜の花びら 散りぎわ私を打ちのめす 福島 朝の霧 まだ残る今宵 福島 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2017年5月6日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3294 シラミは脳の周縁部に大歓迎だ。それは鬱血を取り除いてくれる。われわれが明晰な思考を保てるのは、ごく小さなこのペットのおかげだ。だから私は自分の血を敵に与えることも決して拒まない。毎日、彼にその一杯を用意してあげよう。 ハンモックから身を引きはがすときの、乱暴に剥かれたバナナのようなすさまじい痛みを、きみも知っているだろう。 スジ「 茶 ( テ ) (thé)って・・・・・・ぜんぶが 最初の文字 ( テ ) に入ってるのね!」 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2024年4月29日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5719 人工知能、自動運転車両、太陽光によって動く人工衛星とロボット、われわれの制御を超えた情報処理プログラムたち......。わたしたちの狂った生存本能は、大急ぎで人間の生きられない世界を作らせている。 トンネルの先にあるのは、モグラのおしり。 死のうと決心し、ポケットに小石を詰めて水辺に身を投げた。しかし水面で跳ねて、跳ねて、跳ねて――まだ水切りが続いている。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

池田知徳さんのサイト / nouveau site d'un ami

  Halitus イタリア・ピサに留学中の池田知徳さんが個人サイトをオープンされました。詩や評論、日記など、幅広い内容を載せていかれるようです。ぜひ遊びに行ってくださいね。 Je vous invite à visiter le nouveau site web de Tomonori Ikeda, qui étudie la poésie italienne à l'école normale supérieure de Pise. Il y publie des traductions japonaises de poèmes italiens, des critiques, ou encore ses propres créations poétiques. Pour le moment en japonais, mais il pourrait écrire dans d'autres langues. En tout cas, la vitrine est belle !

淵上毛銭「構成」のフランス語訳について / A propos de la traduction de "La Composition" de Mosen Fuchigami

昨日アップした毛銭の詩の仏訳について。原詩と拙訳は以下の通り。 「構成」 人間同士って うるさいなあ。 森は 静かによりあって、 泉が こんこんと湧いている。 "La Composition" Quel bruit des hommes les uns les autres  Tandis que les bois se côtoient placidement, où jaillit une source intarissable. ・抽象名詞の題といい「森」といい、ボードレールの「万物照応(Correspondances)」を思わせるが、内容的にも形式的にもずっとシンプルな詩。タイトルの「構成」は素直に単数の定冠詞をつけて「La Composition」とする。 ・「人間同士って/うるさいなあ。」: 終助詞の「なあ」は、「感嘆形容詞(adjectif exclamatif)」を使って「Quel bruit(なんて騒音だ)」と訳すことにする。問題は最後の句点をどうするか。フランス語の感嘆文にはふつうpoint d'exclamation (! 感嘆符)が付くけれど、ちょっと大袈裟な感じがする(あるいはわたしがこれを「びっくり」マークと思いすぎなのか)。日本語の終助詞の微妙さ。ちなみに俳句の切れ字(「や」「かな」「けり」など)を訳すのにはしばしばtiret(—)が使われるが、これもしっくりこず、かといって句点を置いてしまうとフランス語としてかなり不自然になる気がしたので、結局何も付けないことにして、次の連のTandis queを大文字で始めることでふわっと切れるようにした(変だったら教えてください)。ポワン・ヴィルギュル(;)を使ってtandis queを引っ込める形でもよかったかもしれない。 ・「森は/静かによりあって、」: 副助詞の「は」を「tandis que」として、対比の意味を強調した。よくみると変わった日本語。森というのは木がよりあったものであって、「森」と「よりあう」は厳密には主述関係にはならないはずである。しかし、「Dans la forêt, les arbres...(森では、木が・・・)」などとするのは訳しすぎだろう。具体的に何「が」よりあっているのかはよく分からないのだ。「森は」のあとの改行は、森を「構成」する有象...

La Composition / Mosen Fuchigami

LA COMPOSITION Mosen Fuchigami Quel bruit des hommes les uns les autres Tandis que les bois se tiennent côte à côte, tranquillement, où jaillit une source intarissable. -- Mosen Fuchigami 淵上 毛錢 (1915-1950) Né à Minamata, dans la préfecture de Kumamoto. Tombé malade d’une carie de l’épine dorsale à l’âge de vingt ans, il devient grabataire et commence à écrire des poèmes. Ceux-ci sont publiés dans des revues littéraires, ainsi que dans deux recueils : La Naissance (1943) et Le Recueil (1947). Traduction par Hiroko Inada

2010年4月22日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

875 精神分析家による有料セッションと売春婦のショート・タイムの状況的な類似がよく指摘される。じっさい、混同が生じかねない。というのは、患者については分析家に対して愛情的、さらにはエロティックな転移を行うことが問題なのだとすれば、売春婦のほうは客が自分に求めているのは結局、話を聞いてもらうことと心理学的な癒やしだと言うだろうからだ。もう誰に何を求めて会いに行ったら良いのやら。 作家の全ての作品を凝縮したような、あるいはその沈殿物であるような本がある。その原理、言い回し、こだわりや手法のすべてを同時に集約し、増幅させているような本だーーしばしばうんざりするほどに。強引に型にはめるようにして生み出されたこれらの作品はたしかに、代表作や極致というよりもむしろ、息苦しく戯画的でパロディー的な機械に近い。たとえば「従姉ベット」には、バルザックの名作小説を構成するあらゆるテーマ、劇的・文体的な効果が見いだされるが、まさにそのバルザックらしさの過剰がゆえに、バルザック的なものの反復・誇張・詰め込みによって、滑稽さに陥ってしまっている。 私は断章やアフォリズム、日記を書く作家連中を心の底から嫌っている。延々と文句を言い、慢性的に満たされず、断定的でけんか腰なやつらだ。あいつらは何も好きじゃないんだ。 -- いよいよ今週末は「 ことばのたび社文学祭 」です。関西のみなさま、ぜひお越しください。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2022年4月15日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5010 海を漂うビニール袋は、それをクラゲと見間違えた幾千ものウミガメや肉食魚を殺している。この悲惨な取り違えはしかし、わたしたちに進むべき道を示してはいないだろうか? 死をもたらすこの袋の生産を金輪際やめ、今後は買った物を入れるのに、専用の養殖池で特別に育てられたクラゲを使おうではないか。自然の教訓はけっして無駄にならない。 孤独者、世界をシェアする同居人募集。 塩山が私の上に崩れ落ちてきたとき、悔いはひとつしかなかった。自分が波に呑まれて死ぬのか、雪崩に埋まって死ぬのか知らないことだ。 -- エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2025年4月8日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5846 上の階にたどりついた階段が、もうこれより上には行けないことを理解していないときの、宙に浮いた瞬間がある。それは足踏みし、むなしく空を蹴る。そして、このあまりの平坦さを受け入れられず、たいていの場合、再び降りていくことを選ぶ。 にわか雨が消し去ろうとした火を守ろうと被せて消してしまう、あの覆いの無用さ。 碁の師匠 この阿呆 碁盤 ゴバン が すべり台 トボガン に -- エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Une dactylo / Yasuhiro Yotsumoto

UNE DACTYLO Yotsumoto Yasuhiro — Je sais que le procès-verbal doit être rédigé de manière concise, limité sur les points principaux mais je voudrais noter le rire discret que vous avez laissé échapper ainsi que la mauvaise haleine qui a flotté un instant avant de s’évaporer aussitôt et vous, monsieur le chef du service achats, j’aimerais bien enregistrer le silence froid qui vous a entouré pendant que vous bafouilliez en commettant une erreur de chiffre. Laissez-moi au moins inscrire vos regards rapides qui ont porté unanimement sur l’aine de mes jambes recroisées et cet éclat de rire, comme sur ordre, qui commence et finit tous ensemble. Et excusez-moi d’évoquer des sujets personnels mais si c’est possible la scène ayant effleuré mon esprit quand je faisais la sténographie, celle où la ligne Marunouchi, sortant de la station de Yotsuya, rentre sous terre sans bruit je me demande si tout cela n’a vraiment rien à voir avec le contenu de la réunion Si non notre existence elle-même n’aura...