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2015年9月2日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2701 私には同姓同名の時計職人*がいて、彼は自らの名を冠した時計を作っている。密かな、しかし苛烈な競争が私たちを反目させる。われわれの固有でありながら共有の名を最初に栄光で飾った者に、それが与えられるのだ。ところが互いに足を引っ張り合ってしまっているのだろうか、両者ともなかなか、頭ひとつ抜けることができない。それでももし私たちの力を合わせることができたら、どんなに雄大な作品を作り出すことができるだろうか。失われた時を求めることに捧げられた、数巻にも及ぶ物語の構造と形式は、もう私の頭の中にあってーーつまるところ、この敵対関係はじつにもったいない。 ロバの皮をかぶって身を隠すつもりが、動物のことには疎かったその 王女 レンヌ は、間違えて トナカイ レンヌ の皮を着てしまった。よって当然ながら、正体はすぐにばれてしまったのである。 ついに、ついに、これを言う時が来るとはーー「アガット、その本をすぐに閉じなさい、食事中だぞ!」 -- *時計職人エリック・シュヴィヤールはこんな時計を作っているようだ。 https://www.ebay.fr/itm/394865348629 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2021年8月26日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4780 とうとう労働の日々のルーティンが始まれば、波をかき分けたり野山を駆け回ったりするのに精を出したこのヴァカンスのあとで、少し息をつくことができるだろう。 人間は傘を発明した。これがじつに利口で便利だというのは、なるほど水が落ちてくるときにはそうなのだが、今では水は上ってきているのだよ、坊や。 すべての花が、君が来たことを言い立てている。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2011年8月19日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1321 両親が庭の奥側の土地を手放して庭が二つに分割されたとき、私は学生でもうここには住んでいなかった。生垣が植えられ、新しい隣人たちは古い木々を切り倒し自分たちの家を建てた。それから両親は退職するときになって残った土地を手放し、街に移り住んだのだった。私がこの庭のことを思い起こすと、ここ数年に変化したものは形を保っていられなくなる。生垣は引っこ抜かれ、古い木々は起き上がり、おののく隣人たちはどうしていきなり壁にひびが入ったのか理解できない。そしてついに屋根が彼らの頭上に崩れ落ちるのだった。それにしたって忠告しておくべきだっただろうかーー彼らが家を建てたのは、いつ噴火するとも知れない不安定な土地、地下深くから地表に至るまで、記憶の地体構造による予測不可能な法に支配された土地なのだと。 ひと吹きの突風が、青空を丸ごとさらっていった。 曲馬師の女はあるとき落馬し 騎手の男は太った しかしショーウィンドウのなか蝿は踊る 二人の馬肉専門肉屋で - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2025年8月12日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5960 私は間違っていた、後悔している。いつも夏になると私の足を第二の皮膚のように包んでくれた、しなやかだが丈夫な布のサンダルを、革のサンダルに取り替えたいと思うだなんて。そうすれば ーー なんと浅はかな! ーー 何度も履くうちに生地が伸びて脱げてしまうという、布サンダル唯一の不便から解放されるだろうなどと考えていたのだ。 たしかにこの点において、私の見立ては正しかった。当て布や補強材をあちこち縫い込んだ革のサンダルは、伸びない。いやもう全く。これっぽっちも、1ミリだって伸びないのである。そして私の足はその中で窒息寸前、かかとは擦りむけ、つま先は腫れ上がり、7月14日革命記念日の舞踏会が行われる市庁舎前広場よりもきらきらと輝く水ぶくれで覆われた。もっとも私が踊ることはない。一歩歩くのだって苦痛だからである。 一歩踏み出すごとに叫ばずにはいられない。後悔。もう同じことは繰り返すまい。この傷が治り次第また、しなやかで丈夫な布のサンダルに足を滑り込ませるつもりだ。そして、それが再び伸びはじめたとき、私は自分が許されたのを知るだろう。 - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年8月5日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

969 はるか先のことだがいつか必ず訪れる、もはや幼年時代のことしか思い出せなくなるその日を見越して、子どもたちに宝くじの遊び方、ブリッジやドミノのルール、それから老年医療の基礎知識をいくらか教えておくのがよいだろう。 うとうとするきみの頭がきみの父の肩にもたれかかるやいなや、もうきみの肩に、きみの子どものうとうとする頭がもたれかかっている。こうした全てはじつにあっけなく、まどろみの靄のなかで体験されるにすぎない。けれどもこれらが、われわれのもっとも美しい感覚のうちのふたつなのだ。 生まれたばかりの子どもの泣き声は、海鳥の鳴き声に似ている。ところで赤ちゃんに塗られる痒み止めの軟膏は、非常に強い魚のにおいを放つ。だからごめんねスジ、わるいけどきみをイワシ漁船のあとを飛んでゆく若いカモメと見紛うときがあるんだ。 - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2020年7月29日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4413 どうして下げられた車の窓からもれてくる音楽は絶対に私の好みではないのだろう? なぜもれてくるのかは分かるのだが。 すっかり老け込んだこの六十代の男は、私の知る最も若々しい八十代でもある。 それでもいつか、君もあんな汚物のようになるんだよ、あのおぞましい悪臭源にね*――みにくいアヒルの子が得意げに首を伸ばしはじめたとき、私はそう言って忌まわしい腐肉を指さした。 - *ボードレール「腐肉(Une charogne)」。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年7月22日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

959 カタツムリやヘビ、あるいはクモと同様に、人間もまたアルコールの離脱症状に襲われた神による被造物である。だからもし生き延びたいのなら、神の酔いが醒めないようわれわれ自身で世話してやる必要がある。ちなみにそれというのがこの下界における司祭の役割であって、彼らが引っかけるミサの葡萄酒が彼の頭に回ると、また日々新しい怪物を生み出すのだった(つい最近は「トレーダー」を)。 エデンの園でわれわれは空気より軽く、浮遊していた。ところが蛇が待ちぶせをしてアイザック・ニュートンの通りがかりにわざと林檎を落として以来、われわれは重力をもつようになった、ああ、なってしまった! それだけではない、万物がわれわれの上にのしかかりはじめたのだ。 あら、私をみくびらないでくださいよ、気を付けた方がいい、これから私があらゆる物事の原理を破壊し、すべての歯車を狂わせます。そしたらもう、人間ひとりひとりがなんの罰も受けないでぽーんと死ぬなんてことはできなくなりますから。   - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2013年7月8日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1971 最初に味わったときを過ぎてしまえば、感覚は自らが担っているつもりの、現実を把握するという役割を果たさなくなる。というのはこの感覚なるものは、あの古びた体験までもを呼びさまし、われわれを記憶の夢想へと連れ去るのだが、この夢じたい想像によって変形させられているのだから。つまるところ現実はつねに逃げ去り、ただ痛みだけがその存在を証し立てる。残るのは幻想のヴェールが覆い隠すことのない、あの神経のひりひりとした苛立ちだけなのだ。 金属製の万年筆が切り裂くと同時に、インクの糸が縫いとじる――それが書くということだ。 作家は自らが進歩して、現実をよりよく理解できるようになったと信じたがっているが、実際にはますます自分の巣穴にはまり込み、自分が掘ったトンネルを照らすことすら決してできないのだ。   - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2022年7月1日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5087 われわれの記憶の中にもっとも深く刻み込まれ、過去のすべてがその周りに秩序立てられるようなモチーフとは、実家の壁紙の模様である。壁がどれも無地である現在、子どもたちが幼い頃の思い出をなにひとつ思い出せなくなることが危惧される。 ドアの覗き穴に望遠鏡のレンズをはめ込んでごらん、そうすればヴィーナスがノックしに来るだろう。 脱走は刑期をまっとうするもっとも迅速な手段ではないか?   - - *ヴィーナス(ウェヌス)とは金星のことでもある。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2020年6月24日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4386 死後硬直によって固まってしまう前に、頭の切れるその女の子は隣り合って枝にぶら下がる両親の手と手に一枚の板を握らせた。 ――孤児になるって楽しいわね、ブランコができる! 私には方向感覚が一切ない。ついでに言うと、道で気づかれることも決してない。 ――ちょっと! 何をしてるのか教えて! 何が見えるのかだけでも言ってよ! しかしスカートの下のその手はすべてを自分だけの秘密にする。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2016年6月17日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2988 私たちは街を歩く、こんな具合に整えられ、切り取られ、かのように服を着せられ、帽子を被せられて。まるでこう言っているかのようだーー「これが人間についての私の提案です」。 かけがえのない、あれほど頼りになった友のことを、あなたは忠実でもあると思っていた・・・・・・あなたが道をゆくときにはしばしば、彼の手はあなたの手に握られていた・・・・・・それなのに、ああ、ふとした矢先に・・・・・・要するにまた傘をなくした。 先史時代の人間がしていたように、二つの火打ち石をこすって火を迸らせてみたいと思ったのだ。ところがーーわれわれが進化したからだろうか?ーー迸ったのは血だった。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年6月10日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1266 来年度スジが保育園に席を得るために私の住む街の街頭で組織されたデモは、まったく閑散としたありさまだった。というのも集まったのはーー落胆した主催者らによる算出はめずらしく、それを嘲笑う警察のものと一致したーー2人だけだったのだ。わが近隣住民たちの政治的了見のなさ、もっとも正当な言い分に対する彼らの無関心といったら、はっきり言わせてもらおう、じつに嘆かわしく深刻な問題である。 作家の同情とは、彼の皮肉の猥褻なかたちである。 「大切な人を失う」とは、それが言っているようにみえることとほぼ真逆の意味をもつ的外れな表現だ。というのは反対に私たちは寝てもさめても、そしてまったくもって絶望的なことに、その人の居どころを思い知ることになるからだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2017年6月3日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3322 第一に、時間に正確な者は腕時計を足首に巻く。 第二に、風邪を引いた者がクモの巣で鼻をかんでも、鼻の腫れはましにはならない。 第三に、梯子を上まで登るのにいちばん話が早いのは、やはり梯子を持っていることだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年5月27日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

910 かの有力者が知り合いにいるおかげで、私の応募書類は山のてっぺんに置かれている。ところがこの山があまりに高すぎて、悲しきかな担当の役人はとっくに頂上にたどり着くことをあきらめてしまっている。 われわれは毎秒いつ死んでもおかしくないのだが、結局そんなことはごく稀にしか起こらないのである。 今度は最初の大河小説を書こうと決心していた。なのに何なんだ一体、机の上にあるこれは? とぼけたつぶらなビーバーじゃないか! -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2026年5月20日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

6235 スズメというものは、なんと己の平凡さをよろこび謳歌することを心得、その取るに足らなさを嬉々として生き、かくも微々たる存在であるためにあくせくするのだろう! われわれはスズメを羨むことができるだろうか? それになるにはどんな方策を敷いたらよいのだろうか? 先のとがったハサミと、先の丸いハサミとでは、地平線の上に切り取る山のかたちも変わってくる。 あの人はウィンカーを付けるかな? 残念ながらこれが、曲がり角でこちらを待つ人々にとってしばしば唯一の関心事なのだ。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年5月13日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1238 蓮の葉に 変てこオタマジャクシ 福島 桜の花びら 散りぎわ私を打ちのめす 福島 朝の霧 まだ残る今宵 福島 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2017年5月6日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3294 シラミは脳の周縁部に大歓迎だ。それは鬱血を取り除いてくれる。われわれが明晰な思考を保てるのは、ごく小さなこのペットのおかげだ。だから私は自分の血を敵に与えることも決して拒まない。毎日、彼にその一杯を用意してあげよう。 ハンモックから身を引きはがすときの、乱暴に剥かれたバナナのようなすさまじい痛みを、きみも知っているだろう。 スジ「 茶 ( テ ) (thé)って・・・・・・ぜんぶが 最初の文字 ( テ ) に入ってるのね!」 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2024年4月29日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5719 人工知能、自動運転車両、太陽光によって動く人工衛星とロボット、われわれの制御を超えた情報処理プログラムたち......。わたしたちの狂った生存本能は、大急ぎで人間の生きられない世界を作らせている。 トンネルの先にあるのは、モグラのおしり。 死のうと決心し、ポケットに小石を詰めて水辺に身を投げた。しかし水面で跳ねて、跳ねて、跳ねて――まだ水切りが続いている。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

池田知徳さんのサイト / nouveau site d'un ami

  Halitus イタリア・ピサに留学中の池田知徳さんが個人サイトをオープンされました。詩や評論、日記など、幅広い内容を載せていかれるようです。ぜひ遊びに行ってくださいね。 Je vous invite à visiter le nouveau site web de Tomonori Ikeda, qui étudie la poésie italienne à l'école normale supérieure de Pise. Il y publie des traductions japonaises de poèmes italiens, des critiques, ou encore ses propres créations poétiques. Pour le moment en japonais, mais il pourrait écrire dans d'autres langues. En tout cas, la vitrine est belle !

淵上毛銭「構成」のフランス語訳について / A propos de la traduction de "La Composition" de Mosen Fuchigami

昨日アップした毛銭の詩の仏訳について。原詩と拙訳は以下の通り。 「構成」 人間同士って うるさいなあ。 森は 静かによりあって、 泉が こんこんと湧いている。 "La Composition" Quel bruit des hommes les uns les autres  Tandis que les bois se côtoient placidement, où jaillit une source intarissable. ・抽象名詞の題といい「森」といい、ボードレールの「万物照応(Correspondances)」を思わせるが、内容的にも形式的にもずっとシンプルな詩。タイトルの「構成」は素直に単数の定冠詞をつけて「La Composition」とする。 ・「人間同士って/うるさいなあ。」: 終助詞の「なあ」は、「感嘆形容詞(adjectif exclamatif)」を使って「Quel bruit(なんて騒音だ)」と訳すことにする。問題は最後の句点をどうするか。フランス語の感嘆文にはふつうpoint d'exclamation (! 感嘆符)が付くけれど、ちょっと大袈裟な感じがする(あるいはわたしがこれを「びっくり」マークと思いすぎなのか)。日本語の終助詞の微妙さ。ちなみに俳句の切れ字(「や」「かな」「けり」など)を訳すのにはしばしばtiret(—)が使われるが、これもしっくりこず、かといって句点を置いてしまうとフランス語としてかなり不自然になる気がしたので、結局何も付けないことにして、次の連のTandis queを大文字で始めることでふわっと切れるようにした(変だったら教えてください)。ポワン・ヴィルギュル(;)を使ってtandis queを引っ込める形でもよかったかもしれない。 ・「森は/静かによりあって、」: 副助詞の「は」を「tandis que」として、対比の意味を強調した。よくみると変わった日本語。森というのは木がよりあったものであって、「森」と「よりあう」は厳密には主述関係にはならないはずである。しかし、「Dans la forêt, les arbres...(森では、木が・・・)」などとするのは訳しすぎだろう。具体的に何「が」よりあっているのかはよく分からないのだ。「森は」のあとの改行は、森を「構成」する有象...

La Composition / Mosen Fuchigami

LA COMPOSITION Mosen Fuchigami Quel bruit des hommes les uns les autres Tandis que les bois se tiennent côte à côte, tranquillement, où jaillit une source intarissable. -- Mosen Fuchigami 淵上 毛錢 (1915-1950) Né à Minamata, dans la préfecture de Kumamoto. Tombé malade d’une carie de l’épine dorsale à l’âge de vingt ans, il devient grabataire et commence à écrire des poèmes. Ceux-ci sont publiés dans des revues littéraires, ainsi que dans deux recueils : La Naissance (1943) et Le Recueil (1947). Traduction par Hiroko Inada

2010年4月22日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

875 精神分析家による有料セッションと売春婦のショート・タイムの状況的な類似がよく指摘される。じっさい、混同が生じかねない。というのは、患者については分析家に対して愛情的、さらにはエロティックな転移を行うことが問題なのだとすれば、売春婦のほうは客が自分に求めているのは結局、話を聞いてもらうことと心理学的な癒やしだと言うだろうからだ。もう誰に何を求めて会いに行ったら良いのやら。 作家の全ての作品を凝縮したような、あるいはその沈殿物であるような本がある。その原理、言い回し、こだわりや手法のすべてを同時に集約し、増幅させているような本だーーしばしばうんざりするほどに。強引に型にはめるようにして生み出されたこれらの作品はたしかに、代表作や極致というよりもむしろ、息苦しく戯画的でパロディー的な機械に近い。たとえば「従姉ベット」には、バルザックの名作小説を構成するあらゆるテーマ、劇的・文体的な効果が見いだされるが、まさにそのバルザックらしさの過剰がゆえに、バルザック的なものの反復・誇張・詰め込みによって、滑稽さに陥ってしまっている。 私は断章やアフォリズム、日記を書く作家連中を心の底から嫌っている。延々と文句を言い、慢性的に満たされず、断定的でけんか腰なやつらだ。あいつらは何も好きじゃないんだ。 -- いよいよ今週末は「 ことばのたび社文学祭 」です。関西のみなさま、ぜひお越しください。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2022年4月15日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5010 海を漂うビニール袋は、それをクラゲと見間違えた幾千ものウミガメや肉食魚を殺している。この悲惨な取り違えはしかし、わたしたちに進むべき道を示してはいないだろうか? 死をもたらすこの袋の生産を金輪際やめ、今後は買った物を入れるのに、専用の養殖池で特別に育てられたクラゲを使おうではないか。自然の教訓はけっして無駄にならない。 孤独者、世界をシェアする同居人募集。 塩山が私の上に崩れ落ちてきたとき、悔いはひとつしかなかった。自分が波に呑まれて死ぬのか、雪崩に埋まって死ぬのか知らないことだ。 -- エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2025年4月8日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5846 上の階にたどりついた階段が、もうこれより上には行けないことを理解していないときの、宙に浮いた瞬間がある。それは足踏みし、むなしく空を蹴る。そして、このあまりの平坦さを受け入れられず、たいていの場合、再び降りていくことを選ぶ。 にわか雨が消し去ろうとした火を守ろうと被せて消してしまう、あの覆いの無用さ。 碁の師匠 この阿呆 碁盤 ゴバン が すべり台 トボガン に -- エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Une dactylo / Yasuhiro Yotsumoto

UNE DACTYLO Yotsumoto Yasuhiro — Je sais que le procès-verbal doit être rédigé de manière concise, limité sur les points principaux mais je voudrais noter le rire discret que vous avez laissé échapper ainsi que la mauvaise haleine qui a flotté un instant avant de s’évaporer aussitôt et vous, monsieur le chef du service achats, j’aimerais bien enregistrer le silence froid qui vous a entouré pendant que vous bafouilliez en commettant une erreur de chiffre. Laissez-moi au moins inscrire vos regards rapides qui ont porté unanimement sur l’aine de mes jambes recroisées et cet éclat de rire, comme sur ordre, qui commence et finit tous ensemble. Et excusez-moi d’évoquer des sujets personnels mais si c’est possible la scène ayant effleuré mon esprit quand je faisais la sténographie, celle où la ligne Marunouchi, sortant de la station de Yotsuya, rentre sous terre sans bruit je me demande si tout cela n’a vraiment rien à voir avec le contenu de la réunion Si non notre existence elle-même n’aura...

朗読イベントのお知らせ

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4月25日・26日に、大阪・十三の私設図書館「みんなの図書さいくる」にて、毎年恒例の「ことばのたび社文学祭」が行われます。昨年9月刊行の『 翻訳文学紀行Ⅶ 』に収録された作品の朗読イベントということで、わたしもシュヴィヤール『ハリネズミについて』の訳者として、(フランス留学中のため)オンラインで出演します。朗読は俳優の川島むーさん。 くわしくはこちらのリンクから。   ことばのたび社文学祭(3/22(日)@ほんの入り口/4/25(土), 26(日)@みんなの図書館さいくる) – ことばのたび社

2018年4月1日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3606 彼は再発進しなかった。彼の車のせいで交通は止まる。渋滞がすぐにあらゆる大通りを埋め尽くし、やがて脇道にまで及んだ。こうして国全体が麻痺し、経済活動はそれによって深刻な被害を受けた。彼は尋問を受ける。 「仕方ないじゃないですか」彼は運転席に座ったまま、窓に肘をついてそっけなく言った――「信号が青に変わったとき、ただ行きたくないと思ったんです」 春には俳句も 膝を出す ヴィーガンになるよう彼を説得し、それから彼のプレイヤード叢書*を全部引き取った。 -- *ガリマール社刊行の文学全集で、革張りの高級な装丁が特徴。 シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2012年3月25日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1530 私は和解の橋渡し役になれると思う。50年前から待ち望まれていた統合者だ。これが証拠だ――ビートルズもローリング・ストーンズも、私の人生で何の重要性ももってこなかった。 そしてこちら 首をひっこめざるをえない キリン 舌の形をしたぺろぺろキャンディーが、あれほど長い時間を経てまだ自分を舐める能力を獲得していないとは、驚くべきことではないか? -- シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Journal de la traductrice / 翻訳日記 (1)

Mon nom de famille est Inada, qui signifie « rizière ». Mais quel nom japonais ! Je crains que ce nom trop nippon ne fasse obstacle à mon intégration en France, prophétisant ainsi mon inadaptation.   留学しているパリの大学のカフェでは、環境への配慮のため紙コップの使用が廃止され、ドリンクの提供にはプラスチック製のリユース・カップが用いられることになった。ところが使用後のカップをそのまま持ち帰ってしまう学生が後を絶たず、盗難防止の措置として、飲み物の注文の際には自分の学生証をデポジット代わりにレジに預け、飲み終わったらカップと引き換えで返却されるという仕組みになったのである。その日も0.6ユーロのエスプレッソ一杯を飲むためだけに学生証を預け、すぐに飲み干して戻ると、店員の女性はわたしの学生証をしげしげと眺め、そして「あなたの名前がどういう意味か知っている?」と尋ねてきた。  質問の意図がつかめず、また少々急いでいたので早く学生証を返してほしかったわたしは、とにかく「分からない」と答えた。すると彼女はにやりと笑って「あなたの名前は 「rien(無)って意味よ」と言い放ってきたのである。ここでようやく、フランス語の 「rien」 にあたるスペイン語の 「nada」が、わたしの名字の「Inada」に入っているということを言っているのだと分かった。女性はスペイン語話者だった。「つまり、わたしは「無」っていうことですか」。「そうよ」。  大学を後にして早足で公園を横切りながら、ふとInadaという自分の名字には、nadaに加えてもうひとつの否定、それも日本語である「否(いな)」が含まれていることに気が付いた。日本で生活していた時には思いもよらなかったことだった。日本では漢字の重みで揺るぎなかった言葉が、表音文字のヨーロッパで浮遊して新しい意味に結びついたか思えば、日本語にひょいと戻ってきて、二重の否定を刻み込まれることになったのだ。  なんだか少しだけ不吉な気分になって、しかし否定が二つ重なれば肯定に転じるではないか、などと考えてみた瞬間、さらにもうひとつの否、すなわち否定...

2020年3月18日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4288 自宅待機の日記(5日目)。石鹸が切れはじめた。砂や灰で体を洗うことをおぼえる。しかしわれわれは、植物についての直観知を失ってしまった。アガットはイラクサで体をこすってひどい炎症を負った。 「あなたにぼくの本を託したいと思います。なぜかというと、少なくともあなたがたの会社から出せば、だれも読むことはないと確信しているからです」と、アンリ・ミショーはファタ・モルガナ社の創業者であるブリュノ・ロワに言っていた。賢い考えだとつくづく感心し、それ以来ずっと、自分の出版戦略の参考にさせてもらっている。私が本を出すときには、出版の季節を選び、本のタイトルや売り文句を十分とっつきにくく退屈そうなものにすることで、しばしば好意的すぎるうえにばかみたいに好奇心旺盛で、むやみに首やら手やらをつっこんでくる読者の気を挫くよう気をくばる。この戦略は実にうまくいっていたのだが、この春の新刊シーズンに『モノトビオ』が出て、そのすばらしいタイトル、楽しげな物語のせいで、ついに私のライフワーク全体が危うくなりかけたのである。そこへタイミングよく下された書店の休業命令が、私の企てを救ってくれた。 (危ないところだった、『モノトビオ』はすでに12部、「国民の生活に不可欠ではない」書店で、文字通り飛ぶように売れてしまっていたのだから——われわれの大統領が実によく吟味した言葉を借りれば。) -- シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

La Comptabilité / Yasuhiro Yotsumoto

LA COMPTABILITÉ Yasuhiro Yotsumoto Imagine d’abord une lande interminable qui s’étend devant tes yeux Ensuite, dessine une ligne droite à partir de tes pieds vers l’horizon Regarde ! c’est le monde dans son entier, et la ligne de partage des eaux qui le divise. Tous les facteurs qu’il englobe doivent maintenir la parfaite balance entre les deux côtés de cette ligne Bref, la droite et la gauche, tel est le principe Alors, tu places à gauche ce que tu possèdes  à droite les dettes découlant de cette acquisition Par exemple : le plaisir et la reproduction, la beauté et le poison, Vivre maintenant et mourir dans l’avenir. Un jeune zelkova et les mémoires perdues. Il ne faut surtout pas introduire une notion comme le chaos, car le monde est enfin en train d’acquérir l’ordre. Tout ce qui ne convient pas à ce système, chasse-le, au-delà de l’horizon même si c’était toi-même. ( Un bug qui rit , 1991) Yasuhiro Yotsumoto  (四元康祐, né en 1959) est un poète japonais. C’est après son install...

2019年3月11日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3933 昨日の夜、手帳をどこに忘れたかしら? 劇場の座席の下? そのあと夕食をとった日本食レストラン? 家まで送ってくれた友人の車の中? 劇場の留守番電話に伝言を残し、自転車でレストランまで向かった。 レストランの給仕は私を覚えていて、にこやかに手帳を差し出してくれた! 帰ると友人が玄関の前にいて、わざわざ手帳を届けにきてくれたというではないか。そして劇場からも留守電が入っていて、手帳はたしかに私の座席の下にあったので、受付まで取りにきてください、というのだ。 ふう! 手帳をなくしていたらもっと大変なことになるところだった、今読んでもらったこの小話が書きとめてあるんだから。 -- シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Journal de la traductrice / 翻訳日記 (0)

* Je suis la traductrice de ce blog et voici mon journal de traduction, mais je voudrais prendre ici le mot traduction au sens très large, au sens si large que je risque de parler d’un peu n’importe quelle transposition langagière, culturelle ou existentielle, voire même économique, par exemple, pourquoi pas, d’un taux de change catastrophique du yen par rapport à l’euro ? Ou peut-être devrais-je appeler cela une traduction de journal, puisqu’en fin de compte, il ne s’agirait que d’une transcription en français de ce que j’ai vécu en japonais ? Vivant en France depuis six mois, je lis, écoute, parle et écris quotidiennement en français et pourtant, cette impression de ne pas vivre pleinement dans cette langue me tourmente toujours, mais hélas, pourquoi est-ce que je ne prononce pas comme Guillaume Gallienne ou Christophe Montenez, et je n’écris pas comme…… 「翻訳日記」というものを始めました。現在進めている訳書の進捗状況や翻訳をしていて思ったことなどについてときどき記録します。

Le Train du printemps / Mosen Fuchigami

 LE TRAIN DU PRINTEMPS Mosen Fuchigami Il vaut mieux qu'au printemps, le train soit lent. -- Mosen Fuchigami 淵上 毛錢 (1915-1950) Né à Minamata, dans la préfecture de Kumamoto. Tombé malade d’une carie de l’épine dorsale à l’âge de vingt ans, il devient grabataire et commence à écrire des poèmes. Ceux-ci sont publiés dans des revues littéraires, ainsi que dans deux recueils : La Naissance (1943) et Le Recueil (1947). Traduction par Hiroko Inada

2022年3月4日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4968 老いるということ、それはもしかすると、きみがもはや好きではなく、理解もできなくなってしまった世界を逃れるための巧妙な策略にすぎないのだろうか? そのとき時間は、きみが駆り立てるたくましい馬となり、きみをこの地獄に永遠に閉じ込めるあの不死の法則が発見されてしまう前に、出口にたどり着くようにしてくれるのだ。 インターネット利用者がいくつかのサイトで実施を求められる、自分がロボットでないことを証明するあのちょっとしたテストは、まさしくどんなロボットにもこなせてしまうように思えてならない。ところで偶然だとは思うが、私の口座からかなりの額が引き落とされているのに気づいたその日、私の電動野菜皮むき器がうれしそうに真新しい帽子をかぶっていた。 木食いのゾウムシはホクホクともみ手している。さっきピノキオが大うそを吐いたのである。 -- 2026年3月5日、シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売予定。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Accueil / Yasuhiro Yotsumoto

ACCUEIL Yasuhiro Yotsumoto La réunion a lieu au dernier étage Or je regrette de vous informer que l’ascenseur est en panne maintenant je vous prie donc de bien vouloir utiliser l’escalier de secours là-bas Je ne saurais vous dire quel étage est le dernier, cependant je voudrais simplement vous avertir qu’il y aura  sur le chemin de nombreuses difficultés vous attendant L’une des marches de l'escalier vous mènera à la zone bidonvilloise de New Delhi Une autre au désert affamé du Mozambique les deux cas vous rendant impossible d’assister à la réunion A cela s’ajoutent une bande d’insectes hypertrophiés, celle de plantes crachant partout de l’acide et une troupe de morts dépravés en bêtes qui semblent s’apprêter à fondre sur leurs proies, se cachant dans l’obscurité Oh, frémissez-vous d'excitation ? Sachez que vous avez les yeux émettant la lumière d’une forte volonté et le front qui recèle le pouvoir d’une raison limpide N’ayez crainte, tous les administrateurs ainsi que le prési...

2012年2月25日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1503 あるところに、ヌーのあまりに堅く、筋肉質な肉を好まない大蛇がいた。ヌーの大群が川を横切った時にも、彼の兄弟やいとこたちはごちそうにありついていたのに、彼は泥と血の入り混じる水中でじっと動かず、ただ眉間に皺を寄せるのだった。 ヌーたちは蛇の態度を誤解し、それを寛大さによるものと思い込んだ。そして、哀れみと優しさによって肉食の本能を押さえ込んだのだ、と心打たれたのである。 その時だった、荒れ狂う水流から突如生まれた波のように、蛇はヌーの群れの真ん中にひょっこりと顔を出し、容赦ない両顎でもってこの愚かな獣たちの一匹をがぶりとやったのである――すっかり態度を軟化させていたのだ。 -- 2026年3月5日、シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売予定。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2026年2月18日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

6144 三十冊もの本を書き、生涯にわたり自分自身を映す鏡のような唯一無二の作品集を作り上げた彼――沈黙を愛し、そしてなにより希少な言葉を大切にした私の義父、 ブリュノ・ドュボルゲル *がこの世を去ったと認めろだって? そんなの信じるもんか! 「とにかく」はお喋り好きがお気に入りの口癖である。 頁はめくられる。いつも通りの、当たり前のことだ。わたしたちが愛するあらゆる文学がそこに印刷されているのでなければ、そのことを嘆く理由もないだろう。 -- *ブリュノ・ドュボルゲル氏はジャン・モネ・サン=テティエンヌ大学で美学・芸術学の教授を務め、イコンおよびイコノクラスムの問題、カジミール・マレーヴィチやピエール・スラージュをはじめとする近現代画家、子どもの絵の分析などをめぐって三十近くの著作を残した。 翻訳者は、彼の最後の著作となった「Philippe Favier : Image en clef de Mozart」(2025年)の刊行記念の会にて少しお話ししたのが、生前にお会いする最初で最後の機会となった。 2026年3月5日、シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売予定。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2015年2月11日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2516 文学――読むことも書くことも――が、そこに身を捧げる者を吐きそうなまでにうんざりさせる日々が大いにある。ところが、文学の一切をおもいきり厄介払いしようとするとき、彼は気づく――まさにその理由で書物のトンネルの中に身を投じたあの日以来、何も変わっていないということに。外の世界はもっとひどいし、退屈はあらゆるものに錆のようにこびりついているのだ。 「パパを殺してママと寝たんだ」 「心安らかに行きなさい。全ては赦されました」 告解室での治療が寝椅子のそれよりも素早く効果的であることは認めざるをえない。 私は手当たりしだい何でも利用する*――その結果、自分が座っている枝まで切り落とす羽目になるのだが。 -- *「faire flèche de tout bois(あらゆる木片から矢を作る)」。「あらゆる手段にうったえる」の意味の慣用表現。 2026年3月5日、シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売予定。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2009年2月4日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

468 きのう、私は自伝を読み返した。なんて面白い物語なんだろう! 掛け値なしに、この本がずっと終わらないでほしいくらいだ。 ランの花と女性器が似ているとあんなによく言われるのは、いったいどういうわけだろうと不思議に思っていた――実際に私の小さなジョウロが、むくりとたちあがる日がくるまでは。 作家が死ぬたび、奇妙な反射神経が人々を書店に走らせる。突如として彼の本が読みたくて読みた……あれ……失礼……ああ頭が……心臓が……あああああ……ぱたり -- エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

2015年1月28日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2502 ああ、燃えたぎる若さ、何ものにも止められないあの狂奔よ! 若き日の放埒の記憶が入り乱れながら、堰を切ったように思い出される・・・・・・私は狂っていた! 日中バルザックを二冊もむさぼったあとは、ひと晩中飽くことなく『失われた時』を読みふけるなんて。大胆すぎる! もうあんなことはできまい! カフェにて、おしゃべりな年金暮らしの老人たちが二人してクロスワード・パズルをやっている。隣のテーブルに座っている私はそのせいで、自分の言葉をまっすぐ並べるのにちょっと苦労している。 甘い口づけによってついに目覚めた眠れる森の美女は、少しお尻が痛いわと訴えた。すてきな王子様は視線を落としつつささやいた――「あらゆる手を尽くさなきゃならなかったんだ・・・」 -- エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Nakahara à Paris / Yasuhiro Yotsumoto

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NAKAHARA À PARIS Yasuhiro Yotsumoto Au musée du Louvre, sur le palier sombre d’un escalier, je fus arrêté par un homme portant un melon bas, un manteau noir, d’une taille presque d’enfant. « Je m’appelle Chûya Nakahara*. Et toi, monsieur, c’est quoi ton nom ? Marchons un peu et partageons chacun nos idées sur la vie » Drôle de chose qu’un homme mort depuis plus d’un demi-siècle donne ses idées sur la vie, mais bon nous sortons tous les deux de la pyramide vitrée Il serait naturel que, pour Nakahara qui ne vécut que trente ans  je paraisse un peu vieux au milieu de la quarantaine Nous nous sommes dirigés vers Saint-Germain, sur la rive de la Seine de plus en plus crépusculaire La grande roue qui illustra le millénaire avait été enlevée au XXIᵉ siècle Nakahara qui n'atteint que mon épaule malgré ma petite taille me suit parfois en trottinant pourtant d’un air bien fier « Tu te présentais comme un dadaïste, mais tu visais moins à tout nier et à tout détruire qu’à extraire les couches ...