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2012年3月25日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1530 私は和解の橋渡し役になれると思う。50年前から待ち望まれていた統合者だ。これが証拠だ――ビートルズもローリング・ストーンズも、私の人生で何の重要性ももってこなかった。 そしてこちら 首をひっこめざるをえない キリン 舌の形をしたぺろぺろキャンディーが、あれほど長い時間を経てまだ自分を舐める能力を獲得していないとは、驚くべきことではないか? -- シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Journal de la traductrice / 翻訳日記 (1)

Mon nom de famille est Inada, qui signifie « rizière ». Mais quel nom japonais ! Je crains que ce nom trop nippon ne fasse obstacle à mon intégration en France, prophétisant ainsi mon inadaptation.   留学しているパリの大学のカフェでは、環境への配慮のため紙コップの使用が廃止され、ドリンクの提供にはプラスチック製のリユース・カップが用いられることになった。ところが使用後のカップをそのまま持ち帰ってしまう学生が後を絶たず、盗難防止の措置として、飲み物の注文の際には自分の学生証をデポジット代わりにレジに預け、飲み終わったらカップと引き換えで返却されるという仕組みになったのである。その日も0.6ユーロのエスプレッソ一杯を飲むためだけに学生証を預け、すぐに飲み干して戻ると、店員の女性はわたしの学生証をしげしげと眺め、そして「あなたの名前がどういう意味か知っている?」と尋ねてきた。  質問の意図がつかめず、また少々急いでいたので早く学生証を返してほしかったわたしは、とにかく「分からない」と答えた。すると彼女はにやりと笑って「あなたの名前は 「rien(無)って意味よ」と言い放ってきたのである。ここでようやく、フランス語の 「rien」 にあたるスペイン語の 「nada」が、わたしの名字の「Inada」に入っているということを言っているのだと分かった。女性はスペイン語話者だった。「つまり、わたしは「無」っていうことですか」。「そうよ」。  大学を後にして早足で公園を横切りながら、ふとInadaという自分の名字には、nadaに加えてもうひとつの否定、それも日本語である「否(いな)」が含まれていることに気が付いた。日本で生活していた時には思いもよらなかったことだった。日本では漢字の重みで揺るぎなかった言葉が、表音文字のヨーロッパで浮遊して新しい意味に結びついたか思えば、日本語にひょいと戻ってきて、二重の否定を刻み込まれることになったのだ。  なんだか少しだけ不吉な気分になって、しかし否定が二つ重なれば肯定に転じるではないか、などと考えてみた瞬間、さらにもうひとつの否、すなわち否定...

2020年3月18日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4288 自宅待機の日記(5日目)。石鹸が切れはじめた。砂や灰で体を洗うことをおぼえる。しかしわれわれは、植物についての直観知を失ってしまった。アガットはイラクサで体をこすってひどい炎症を負った。 「あなたにぼくの本を託したいと思います。なぜかというと、少なくともあなたがたの会社から出せば、だれも読むことはないと確信しているからです」と、アンリ・ミショーはファタ・モルガナ社の創業者であるブリュノ・ロワに言っていた。賢い考えだとつくづく感心し、それ以来ずっと、自分の出版戦略の参考にさせてもらっている。私が本を出すときには、出版の季節を選び、本のタイトルや売り文句を十分とっつきにくく退屈そうなものにすることで、しばしば好意的すぎるうえにばかみたいに好奇心旺盛で、むやみに首やら手やらをつっこんでくる読者の気を挫くよう気をくばる。この戦略は実にうまくいっていたのだが、この春の新刊シーズンに『モノトビオ』が出て、そのすばらしいタイトル、楽しげな物語のせいで、ついに私のライフワーク全体が危うくなりかけたのである。そこへタイミングよく下された書店の休業命令が、私の企てを救ってくれた。 (危ないところだった、『モノトビオ』はすでに12部、「国民の生活に不可欠ではない」書店で、文字通り飛ぶように売れてしまっていたのだから——われわれの大統領が実によく吟味した言葉を借りれば。) -- シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

La Comptabilité / Yasuhiro Yotsumoto

LA COMPTABILITÉ Yasuhiro Yotsumoto Imagine d’abord une lande interminable qui s’étend devant tes yeux Ensuite, dessine une ligne droite à partir de tes pieds vers l’horizon Regarde ! c’est le monde dans son entier, et la ligne de partage des eaux qui le divise. Tous les facteurs qu’il englobe doivent maintenir la parfaite balance entre les deux côtés de cette ligne Bref, la droite et la gauche, tel est le principe Alors, tu places à gauche ce que tu possèdes  à droite les dettes découlant de cette acquisition Par exemple : le plaisir et la reproduction, la beauté et le poison, Vivre maintenant et mourir dans l’avenir. Un jeune zelkova et les mémoires perdues. Il ne faut surtout pas introduire une notion comme le chaos, car le monde est enfin en train d’acquérir l’ordre. Tout ce qui ne convient pas à ce système, chasse-le, au-delà de l’horizon même si c’était toi-même. ( Un bug qui rit , 1991) Yasuhiro Yotsumoto  (四元康祐, né en 1959) est un poète japonais. C’est après son install...

2019年3月11日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3933 昨日の夜、手帳をどこに忘れたかしら? 劇場の座席の下? そのあと夕食をとった日本食レストラン? 家まで送ってくれた友人の車の中? 劇場の留守番電話に伝言を残し、自転車でレストランまで向かった。 レストランの給仕は私を覚えていて、にこやかに手帳を差し出してくれた! 帰ると友人が玄関の前にいて、わざわざ手帳を届けにきてくれたというではないか。そして劇場からも留守電が入っていて、手帳はたしかに私の座席の下にあったので、受付まで取りにきてください、というのだ。 ふう! 手帳をなくしていたらもっと大変なことになるところだった、今読んでもらったこの小話が書きとめてあるんだから。 -- シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売中。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子

Journal de la traductrice / 翻訳日記 (0)

* Je suis la traductrice de ce blog et voici mon journal de traduction, mais je voudrais prendre ici le mot traduction au sens très large, au sens si large que je risque de parler d’un peu n’importe quelle transposition langagière, culturelle ou existentielle, voire même économique, par exemple, pourquoi pas, d’un taux de change catastrophique du yen par rapport à l’euro ? Ou peut-être devrais-je appeler cela une traduction de journal, puisqu’en fin de compte, il ne s’agirait que d’une transcription en français de ce que j’ai vécu en japonais ? Vivant en France depuis six mois, je lis, écoute, parle et écris quotidiennement en français et pourtant, cette impression de ne pas vivre pleinement dans cette langue me tourmente toujours, mais hélas, pourquoi est-ce que je ne prononce pas comme Guillaume Gallienne ou Christophe Montenez, et je n’écris pas comme…… 「翻訳日記」というものを始めました。現在進めている訳書の進捗状況や翻訳をしていて思ったことなどについてときどき記録します。

Le Train du printemps / Mosen Fuchigami

 LE TRAIN DU PRINTEMPS Mosen Fuchigami Il vaut mieux qu'au printemps, le train soit lent. -- Mosen Fuchigami 淵上 毛錢 (1915-1950) Né à Minamata, dans la préfecture de Kumamoto. Tombé malade d’une carie de l’épine dorsale à l’âge de vingt ans, il devient grabataire et commence à écrire des poèmes. Ceux-ci sont publiés dans des revues littéraires, ainsi que dans deux recueils : La Naissance (1943) et Le Recueil (1947). Traduction par Hiroko Inada

2022年3月4日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4968 老いるということ、それはもしかすると、きみがもはや好きではなく、理解もできなくなってしまった世界を逃れるための巧妙な策略にすぎないのだろうか? そのとき時間は、きみが駆り立てるたくましい馬となり、きみをこの地獄に永遠に閉じ込めるあの不死の法則が発見されてしまう前に、出口にたどり着くようにしてくれるのだ。 インターネット利用者がいくつかのサイトで実施を求められる、自分がロボットでないことを証明するあのちょっとしたテストは、まさしくどんなロボットにもこなせてしまうように思えてならない。ところで偶然だとは思うが、私の口座からかなりの額が引き落とされているのに気づいたその日、私の電動野菜皮むき器がうれしそうに真新しい帽子をかぶっていた。 木食いのゾウムシはホクホクともみ手している。さっきピノキオが大うそを吐いたのである。 -- 2026年3月5日、シュヴィヤールの新作小説「 Jaune soleil 」ならびに「Monotobio」 文庫新装版 がミニュイより発売予定。 エリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)のブログ「オートフィクティフ(L'Autofictif)」は こちら L'Arbre vengeur社刊行のバックナンバーは こちら 翻訳 稲田紘子