Articles

Affichage des articles du juin, 2026

2020年6月24日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4386 死後硬直によって固まってしまう前に、頭の切れるその女の子は隣り合って枝にぶら下がる両親の手と手に一枚の板を握らせた。 ――孤児になるって楽しいわね、ブランコができる! 私には方向感覚が一切ない。ついでに言うと、道で気づかれることも決してない。 ――ちょっと! 何をしてるのか教えて! 何が見えるのかだけでも言ってよ! しかしスカートの下のその手はすべてを自分だけの秘密にする。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2016年6月17日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2988 私たちは街を歩く、こんな具合に整えられ、切り取られ、かのように服を着せられ、帽子を被せられて。まるでこう言っているかのようだーー「これが人間についての私の提案です」。 かけがえのない、あれほど頼りになった友のことを、あなたは忠実でもあると思っていた・・・・・・あなたが道をゆくときにはしばしば、彼の手はあなたの手に握られていた・・・・・・それなのに、ああ、ふとした矢先に・・・・・・要するにまた傘をなくした。 先史時代の人間がしていたように、二つの火打ち石をこすって火を迸らせてみたいと思ったのだ。ところがーーわれわれが進化したからだろうか?ーー迸ったのは血だった。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年6月10日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1266 来年度スジが保育園に席を得るために私の住む街の街頭で組織されたデモは、まったく閑散としたありさまだった。というのも集まったのはーー落胆した主催者らによる算出はめずらしく、それを嘲笑う警察のものと一致したーー2人だけだったのだ。わが近隣住民たちの政治的了見のなさ、もっとも正当な言い分に対する彼らの無関心といったら、はっきり言わせてもらおう、じつに嘆かわしく深刻な問題である。 作家の同情とは、彼の皮肉の猥褻なかたちである。 「大切な人を失う」とは、それが言っているようにみえることとほぼ真逆の意味をもつ的外れな表現だ。というのは反対に私たちは寝てもさめても、そしてまったくもって絶望的なことに、その人の居どころを思い知ることになるからだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2017年6月3日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3322 第一に、時間に正確な者は腕時計を足首に巻く。 第二に、風邪を引いた者がクモの巣で鼻をかんでも、鼻の腫れはましにはならない。 第三に、梯子を上まで登るのにいちばん話が早いのは、やはり梯子を持っていることだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子