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2021年9月30日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4813 通りを歩きだして10分もしたとき、あることを思い出して愕然とした。額を叩き、回れ右をして大急ぎで家に戻る。家を出る前に社会の窓を閉めるのを忘れていた! 私「上に上がってくる!」 スジ「パパ、それ頭痛が痛いだよ!」 私「分かってる、でもそうすれば早く着くんだ。」 私はにこやかに、書いている文章から突如飛び出してきたこのヒキガエルを迎え入れる、ところがほら、今このように戻ってきたものだから、自身の魂についてあなたに語りかけようとしていた私は、「ぽちゃん」と書かざるをえないのである。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。1年分の全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2011年9月23日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1352 この通行人と目が合った瞬間、私たちはちょうど各々の煙草をひと吸いしたところだった。まるでうっかりキスを交わしてしまったようで、気分の悪くなった私たちは、同じ動作で顔をそらした。 今やアガットは、とっても上手にひとりでジャパマを着られる。 「しかしこんなに居心地の悪いベンチで、どうやってそんなにぐっすり眠れるんです?」公園の管理人は彼を揺さぶりながら尋ねた。 「簡単ですよ。これがソファーだっていう夢を見るんです」 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。1年分の全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2008年9月16日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

327 枯れ葉はシャベルでは集められないと経験で知っていることから推論して、思い出と後悔も無理だろうと思っている。 眉毛はかつて我々に野生の獣の毛並みがあった、その名残のすべてである。ところが今でも私たちはこのわずかな体毛だけで、わりとうまく獰猛な顔つきをすることができるのである。 誰も、靴の先で栗をはるか遠くまで飛ばすことはできなかった。しばらくすると、地面に根を張って大きな木となってしまうのである。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。1年分の全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2010年9月9日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

996 奇妙なことに、人は自分の名前や肩書き、あるいは代表する組織や会社の名前の書かれた名札をひとたび付けられるやーー参加するのが展示会であれセミナーであれーー、一日中それを外そうとせず、自由時間にもぶら下げたまま、なぜだか知らないが大物ぶって街を歩く。その威厳たるや、銅の銘板を添えられたニス塗りの木製台座の上に佇むマンボウの剥製にすら見られないほどである。 礼儀とは一本の櫂である。それをひと突きーーさようなら、すみません、どうもーーすれば、わたしたちは素早く他人から離れることができる。もしそいつが小舟にあんまり長くしがみつくようなら、頭にちょっとめり込ませたって構わない。 その名が示しているのとは反対に、羊(ovin)は完全に正体の明らかな、飛ばない動物である*。 -- *ovin(羊)とOVNI(objet volant non identifié : 未確認飛行物体(UFO))をひっかけている。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。1年分の全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2015年9月2日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2701 私には同姓同名の時計職人*がいて、彼は自らの名を冠した時計を作っている。密かな、しかし苛烈な競争が私たちを反目させる。われわれの固有でありながら共有の名を最初に栄光で飾った者に、それが与えられるのだ。ところが互いに足を引っ張り合ってしまっているのだろうか、両者ともなかなか、頭ひとつ抜けることができない。それでももし私たちの力を合わせることができたら、どんなに雄大な作品を作り出すことができるだろうか。失われた時を求めることに捧げられた、数巻にも及ぶ物語の構造と形式は、もう私の頭の中にあってーーつまるところ、この敵対関係はじつにもったいない。 ロバの皮をかぶって身を隠すつもりが、動物のことには疎かったその 王女 レンヌ は、間違えて トナカイ レンヌ の皮を着てしまった。よって当然ながら、正体はすぐにばれてしまったのである。 ついに、ついに、これを言う時が来るとはーー「アガット、その本をすぐに閉じなさい、食事中だぞ!」 -- *時計職人エリック・シュヴィヤールはこんな時計を作っているようだ。 https://www.ebay.fr/itm/394865348629 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2021年8月26日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4780 とうとう労働の日々のルーティンが始まれば、波をかき分けたり野山を駆け回ったりするのに精を出したこのヴァカンスのあとで、少し息をつくことができるだろう。 人間は傘を発明した。これがじつに利口で便利だというのは、なるほど水が落ちてくるときにはそうなのだが、今では水は上ってきているのだよ、坊や。 すべての花が、君が来たことを言い立てている。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。

2011年8月19日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1321 両親が庭の奥側の土地を手放して庭が二つに分割されたとき、私は学生でもうここには住んでいなかった。生垣が植えられ、新しい隣人たちは古い木々を切り倒し自分たちの家を建てた。それから両親は退職するときになって残った土地を手放し、街に移り住んだのだった。私がこの庭のことを思い起こすと、ここ数年に変化したものは形を保っていられなくなる。生垣は引っこ抜かれ、古い木々は起き上がり、おののく隣人たちはどうしていきなり壁にひびが入ったのか理解できない。そしてついに屋根が彼らの頭上に崩れ落ちるのだった。それにしたって忠告しておくべきだっただろうかーー彼らが家を建てたのは、いつ噴火するとも知れない不安定な土地、地下深くから地表に至るまで、記憶の地体構造による予測不可能な法に支配された土地なのだと。 ひと吹きの突風が、青空を丸ごとさらっていった。 曲馬師の女はあるとき落馬し 騎手の男は太った しかしショーウィンドウのなか蝿は踊る 二人の馬肉専門肉屋で - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2025年8月12日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5960 私は間違っていた、後悔している。いつも夏になると私の足を第二の皮膚のように包んでくれた、しなやかだが丈夫な布のサンダルを、革のサンダルに取り替えたいと思うだなんて。そうすれば ーー なんと浅はかな! ーー 何度も履くうちに生地が伸びて脱げてしまうという、布サンダル唯一の不便から解放されるだろうなどと考えていたのだ。 たしかにこの点において、私の見立ては正しかった。当て布や補強材をあちこち縫い込んだ革のサンダルは、伸びない。いやもう全く。これっぽっちも、1ミリだって伸びないのである。そして私の足はその中で窒息寸前、かかとは擦りむけ、つま先は腫れ上がり、7月14日革命記念日の舞踏会が行われる市庁舎前広場よりもきらきらと輝く水ぶくれで覆われた。もっとも私が踊ることはない。一歩歩くのだって苦痛だからである。 一歩踏み出すごとに叫ばずにはいられない。後悔。もう同じことは繰り返すまい。この傷が治り次第また、しなやかで丈夫な布のサンダルに足を滑り込ませるつもりだ。そして、それが再び伸びはじめたとき、私は自分が許されたのを知るだろう。 - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年8月5日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

969 はるか先のことだがいつか必ず訪れる、もはや幼年時代のことしか思い出せなくなるその日を見越して、子どもたちに宝くじの遊び方、ブリッジやドミノのルール、それから老年医療の基礎知識をいくらか教えておくのがよいだろう。 うとうとするきみの頭がきみの父の肩にもたれかかるやいなや、もうきみの肩に、きみの子どものうとうとする頭がもたれかかっている。こうした全てはじつにあっけなく、まどろみの靄のなかで体験されるにすぎない。けれどもこれらが、われわれのもっとも美しい感覚のうちのふたつなのだ。 生まれたばかりの子どもの泣き声は、海鳥の鳴き声に似ている。ところで赤ちゃんに塗られる痒み止めの軟膏は、非常に強い魚のにおいを放つ。だからごめんねスジ、わるいけどきみをイワシ漁船のあとを飛んでゆく若いカモメと見紛うときがあるんだ。 - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2020年7月29日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4413 どうして下げられた車の窓からもれてくる音楽は絶対に私の好みではないのだろう? なぜもれてくるのかは分かるのだが。 すっかり老け込んだこの六十代の男は、私の知る最も若々しい八十代でもある。 それでもいつか、君もあんな汚物のようになるんだよ、あのおぞましい悪臭源にね*――みにくいアヒルの子が得意げに首を伸ばしはじめたとき、私はそう言って忌まわしい腐肉を指さした。 - *ボードレール「腐肉(Une charogne)」。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年7月22日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

959 カタツムリやヘビ、あるいはクモと同様に、人間もまたアルコールの離脱症状に襲われた神による被造物である。だからもし生き延びたいのなら、神の酔いが醒めないようわれわれ自身で世話してやる必要がある。ちなみにそれというのがこの下界における司祭の役割であって、彼らが引っかけるミサの葡萄酒が彼の頭に回ると、また日々新しい怪物を生み出すのだった(つい最近は「トレーダー」を)。 エデンの園でわれわれは空気より軽く、浮遊していた。ところが蛇が待ちぶせをしてアイザック・ニュートンの通りがかりにわざと林檎を落として以来、われわれは重力をもつようになった、ああ、なってしまった! それだけではない、万物がわれわれの上にのしかかりはじめたのだ。 あら、私をみくびらないでくださいよ、気を付けた方がいい、これから私があらゆる物事の原理を破壊し、すべての歯車を狂わせます。そしたらもう、人間ひとりひとりがなんの罰も受けないでぽーんと死ぬなんてことはできなくなりますから。   - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2013年7月8日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1971 最初に味わったときを過ぎてしまえば、感覚は自らが担っているつもりの、現実を把握するという役割を果たさなくなる。というのはこの感覚なるものは、あの古びた体験までもを呼びさまし、われわれを記憶の夢想へと連れ去るのだが、この夢じたい想像によって変形させられているのだから。つまるところ現実はつねに逃げ去り、ただ痛みだけがその存在を証し立てる。残るのは幻想のヴェールが覆い隠すことのない、あの神経のひりひりとした苛立ちだけなのだ。 金属製の万年筆が切り裂くと同時に、インクの糸が縫いとじる――それが書くということだ。 作家は自らが進歩して、現実をよりよく理解できるようになったと信じたがっているが、実際にはますます自分の巣穴にはまり込み、自分が掘ったトンネルを照らすことすら決してできないのだ。   - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2022年7月1日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

5087 われわれの記憶の中にもっとも深く刻み込まれ、過去のすべてがその周りに秩序立てられるようなモチーフとは、実家の壁紙の模様である。壁がどれも無地である現在、子どもたちが幼い頃の思い出をなにひとつ思い出せなくなることが危惧される。 ドアの覗き穴に望遠鏡のレンズをはめ込んでごらん、そうすればヴィーナスがノックしに来るだろう。 脱走は刑期をまっとうするもっとも迅速な手段ではないか?   - - *ヴィーナス(ウェヌス)とは金星のことでもある。 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2020年6月24日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

4386 死後硬直によって固まってしまう前に、頭の切れるその女の子は隣り合って枝にぶら下がる両親の手と手に一枚の板を握らせた。 ――孤児になるって楽しいわね、ブランコができる! 私には方向感覚が一切ない。ついでに言うと、道で気づかれることも決してない。 ――ちょっと! 何をしてるのか教えて! 何が見えるのかだけでも言ってよ! しかしスカートの下のその手はすべてを自分だけの秘密にする。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2016年6月17日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

2988 私たちは街を歩く、こんな具合に整えられ、切り取られ、かのように服を着せられ、帽子を被せられて。まるでこう言っているかのようだーー「これが人間についての私の提案です」。 かけがえのない、あれほど頼りになった友のことを、あなたは忠実でもあると思っていた・・・・・・あなたが道をゆくときにはしばしば、彼の手はあなたの手に握られていた・・・・・・それなのに、ああ、ふとした矢先に・・・・・・要するにまた傘をなくした。 先史時代の人間がしていたように、二つの火打ち石をこすって火を迸らせてみたいと思ったのだ。ところがーーわれわれが進化したからだろうか?ーー迸ったのは血だった。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年6月10日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1266 来年度スジが保育園に席を得るために私の住む街の街頭で組織されたデモは、まったく閑散としたありさまだった。というのも集まったのはーー落胆した主催者らによる算出はめずらしく、それを嘲笑う警察のものと一致したーー2人だけだったのだ。わが近隣住民たちの政治的了見のなさ、もっとも正当な言い分に対する彼らの無関心といったら、はっきり言わせてもらおう、じつに嘆かわしく深刻な問題である。 作家の同情とは、彼の皮肉の猥褻なかたちである。 「大切な人を失う」とは、それが言っているようにみえることとほぼ真逆の意味をもつ的外れな表現だ。というのは反対に私たちは寝てもさめても、そしてまったくもって絶望的なことに、その人の居どころを思い知ることになるからだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2017年6月3日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

3322 第一に、時間に正確な者は腕時計を足首に巻く。 第二に、風邪を引いた者がクモの巣で鼻をかんでも、鼻の腫れはましにはならない。 第三に、梯子を上まで登るのにいちばん話が早いのは、やはり梯子を持っていることだ。 - - 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2010年5月27日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

910 かの有力者が知り合いにいるおかげで、私の応募書類は山のてっぺんに置かれている。ところがこの山があまりに高すぎて、悲しきかな担当の役人はとっくに頂上にたどり着くことをあきらめてしまっている。 われわれは毎秒いつ死んでもおかしくないのだが、結局そんなことはごく稀にしか起こらないのである。 今度は最初の大河小説を書こうと決心していた。なのに何なんだ一体、机の上にあるこれは? とぼけたつぶらなビーバーじゃないか! -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2026年5月20日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

6235 スズメというものは、なんと己の平凡さをよろこび謳歌することを心得、その取るに足らなさを嬉々として生き、かくも微々たる存在であるためにあくせくするのだろう! われわれはスズメを羨むことができるだろうか? それになるにはどんな方策を敷いたらよいのだろうか? 先のとがったハサミと、先の丸いハサミとでは、地平線の上に切り取る山のかたちも変わってくる。 あの人はウィンカーを付けるかな? 残念ながらこれが、曲がり角でこちらを待つ人々にとってしばしば唯一の関心事なのだ。 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子

2011年5月13日(シュヴィヤール「オートフィクティフ」)

1238 蓮の葉に 変てこオタマジャクシ 福島 桜の花びら 散りぎわ私を打ちのめす 福島 朝の霧 まだ残る今宵 福島 -- 「 オートフィクティフ(L'Autofictif) 」は作家のエリック・シュヴィヤール(Éric Chevillard)によるブログで、2007年9月から現在に至るまで、ほぼ毎日更新されています。全アーカイヴが毎年1月に L'Arbre vengeur 社より刊行。 翻訳:稲田紘子